調査2

3. 調査2:Brain Circulation

 本節では、アナリー・サクセニアン(AnnaLee Saxenian)女史による著書「現代のアルゴノーツ ―グローバル経済における地域の強み―」(The New Argonauts – Regional Advantage in a Global Economy-[2])から、8大学工学系部局の国際戦略立案に有用と思われる知見をまとめる。ただし、原著は適宜参照したが、酒井泰介訳「最新・経済地理学 - グローバル経済と地域の優位性」[3]を主に参照させていただいた。以下、引用箇所は『』([3]page)で示した。
 
3.1 頭脳循環とは
 まず、次の記述に注目する。
 『今日、能率的で柔軟な電子設備の生産やロジスティックスのあり方を国際的に決めているのは、台湾の専門性の高い半導体産業やコンピュータ関連産業である。わずか600万あまりの国民人口しか持たないイスラエルは、100社以上ものナスダックを上場企業を擁し、米国以外の国で最も多い。インドはソフトウェア開発サービスと業務処理アウトソーシングの担い手として世界をリードし、中国は世界で2番目のIT製造国の座を日本から奪い取ろうとしている。』([3]p.24)
 著者は、戦後景気のさなかに貧しい農業経済国だった台湾、イスラエル、インド、中国の「こうした驚異的な発展をどう解き明かせるのか」と問いかけている。
 『従来の経済開発の理論によれば、新製品や新技術は先進国で生まれ、進んだ技能や研究開発力が豊かな大市場と結びついて発展する、やがて、製品は日用品化し、生産工程が成熟すると、大量生産はよりコストの低い地域に移管されていく。この考え方では、技術的・経済的周辺国(先進国で開発された技術の「お下がり」が浸透してくるのを待ち受ける諸国)の発展は、先進経済頼りになる。最新の技術や技能は、中核国の企業の研究所か大学の中に秘匿されているから、周辺国は必然的に追従者にとどまる。』([3]p.13)
 この経済発展モデル(Core-periphery modelと呼ばれる)では、「かつて技術的・経済的周辺国であった台湾、イスラエル、インド、中国において自前のアントレプレーナシップ(起業家精神)が育っている理由」を説明できないとしている。
 そこで、著者は、次の仮説を立てた(著者は仮説という表現は使っていないが)。
 『この変化の主役は現代のアルゴノーツという戦後の頭脳流出の落とし子である。頭脳流出が問題になったころには、数多くの留学生たちが、毎年、米国の大学で、科学や工学の学位を取り、その後も米国に留まって、ITという米国産業界きっての高成長分野に入って働き続けた。こうした移民技術者たち(えてして母国を代表する頭脳の持ち主だった)はエスニックな人脈や組織をつくって米国社会に溶け込み、それを支えに仕事や起業で成功した。そしてそんな人脈や組織を懸け橋に、母国にハイテク業界の慣習を移植し、世界的な技術競争図を塗り替えて続けている。』([3]p.26)
 米国で教育を受けた移民技術者たちの活躍の舞台は、シリコンバレーだった。
 『彼らによって、シリコンバレーと母国のハイテク地域との間に、複雑で分散的な技能、資本、技術の双方向の流れが生み出されている。一方で業界リーダー核との正面衝突は総じて避けている。シリコンバレーは今日、最新技術の最大かつ最も洗練された市場および供給源として、この急速に多様化するネットワークの要となっている。』([3]p.16)
 『かつては唯一無比の技術リーダーだったシリコンバレーは、今では、得意分野を絞り込んだ経済地域がつくる補完的でダイナミックなネットワークの核となっている。』([3]p.370)
 すなわち、著者が主張するシリコンバレーと新興国との間の頭脳循環(Brain Circulation)を図7に示す。日本やEU諸国は全く蚊帳の外に置かれている。


図7 シリコンバレーと新興国との間の頭脳循環
 
 著者は、日本語版への序文(原英文なし)の中で、本書では次の2点を示したと述べている。以下では、この2点を掘り下げていく。
 『シリコンバレーの分散的産業システムがグローバルに広がっている。』([3]p.2)
 『現代のアルゴノーツが成功できるのは、母国に協力的なパートナーを見いだせてこそである。』([3]p.4)

3.2 連携の核となるシリコンバレーとは
 シリコンバレーの分散的産業システムに関して、次の記述がある。
 『シリコンバレーの成長を支えてきたのは起業家精神、分業の発展、オープンな情報交換だった。』([3]p.41)
 それぞれに関する記述を集めてみる。

【起業家精神】
 まず、起業家精神の重要性を説く次の記述に注目する。
 『米国が実業とハイテクで世界をリードし続けているのは、まさに全世界から才能と資本を引き寄せ、世界第一級の技術教育と研究開発能力を維持し、一方で強烈な競争、協調、透明性、そして起業家精神を促しているからである。米国以外に現代のアルゴノーツを生み出せた国はなかった。米国以上に彼らの努力から利益を得た国もなかったし、ハイテク地域における起業家精神の開放的な生態系(ecosystem)を軽視する政策をとったとき、これほど傷つく国もない。』([3]p.22)
 しかし、以下の記述は、起業家精神の開放的な生態系の構築は容易ではないことを示している。
 『ハイテク起業は、先進国においてさえ局地的な現象にとどまっており、上からの押し付けで作り出せるものではない。「次代のシリコンバレー」作りの試みが失敗し続けていることはその証左だ。研究開発や資本、現代的なインフラを整備して一気にアントレペナーシップ集積を作りだそうとしても、シリコンバレーなどのある共通認識、独自の言葉遣い、経験、自由な情報交換を促す信頼、協調、そして(えてして失敗による)学びや強烈な競争を再現できるものではない』([3]p.27)
 『シリコンバレーにおけるアントレプナーシップ・システムの急発展を支えたのは、ベンチャー企業やハイテク会社のニーズを熟知した専門的サービスの提供者―弁護士、銀行家、ベンチャー・キャピタリスト、さまざまなコンサルタント―が充実していたことだった。』([3]p.42)
 『シリアル・アントレプレナーで(何度も起業を繰り返す人)でもあるミン・ツーは、次のように語る。「経営は難しいもので、スタートアップ企業がつまづく要因は枚挙にいとまがない。会社を立ち上げるときには、その一割も予測していないものだ。シリコンバレーの強みは、失敗してもそれに学び、再挑戦が許される唯一の場所であることだ。」』([3]p.44)

【分業の発展】
 次に、起業家精神が発揮される前提として、分業の発展があることを指摘している。
 『戦後の経済成長に乗り遅れた地域にも、起業家精神とチャレンジ精神に基づいて各地がそれぞれに成長する機会がたわわに実っている。今日では生産が細分化し、輸送や通信のコストはどんどん下がっているため、小さな企業でも海外の専門能力、コスト節減の方法、そして市場に手が届くようになっている。』([3]p.14)
 『今日、ハイテク市場で最も強いものは、技術革新はどこでも起こせることを心得ている。彼らの成長の方程式は、需給を支配することではなく、専門化を深めて、やはり専門家した会社との間で、距離の遠近にかかわらず、分業体制をどんどん組み替えていくことだ。』([3]p.117)
 『技術革新がいつどこから生まれるかわからない分からなくない時代となったいま、モノづくりをするには、普段の仕事の枠や地元のつきあいを超えて、パートナーや経営資源を探し出せるよう、ネットワークを広げなければならない。』([3]p.4)
 以下に、分業の具体例を示す。
 『1981年に発売されたIBM-PCが革新的とされたのは理由に一つは、もっぱら外注部品でできていたからだ。ハードウェアの部品(CPU、マザーボード、マウス、ディスク・ドライブ、プリンタ他)もソフトウェア(OSおよびアプリケーション)も外注だった。社内の部品部門さえ、外部のサプライヤーと競争することを強いられた。この製品はパーソナル・コンピュータの大衆市場を成立させ、コンピュータ会社、部品や周辺機器のメーカー、アプリケーション・ソフトの会社などが雨後の筍のように生まれた。インテルとマイクロソフトもそんな会社だった』([3]p.52)
 『分業化はチップの構成内容供給でも進み、原材料(銅製インターコネクト、絶縁体のシリコン、シリコン・ゲルマニウム、濾過シリコン)、新しい設計や回路(チップ上のシステム、磁気抵抗RAM、ダブルゲート・トランジスタ、カーボン・ナノチューブ・トランジスタ、自己アセンブリ分子やバイオチップ)、製造や組み立て(新式の化学加工処理、集積メトロロジ)、パッケージング処理(フリップチップ、スケール・パッケージング、3Dやシステムのパッケージ化)などの供給が分散化していった。』([3]p.55)

【オープンな情報交換】
 さらに、オープンな情報交換に関して、次の記述がある。
 『この地域では、多少なりとも公式な職業・技術・業界団体、学友会、標準設定フォーラムや非公式なホビイストのグループが生まれ出でては、企業、産業、分野の垣根を越えての直接交流の機会をもたらしている。こうした団体の中には、特定の具体的な技術や市場機会についての短命なものもあれば、数十年も続くのもある。これらのネットワークは情報の流通を加速させ、場合によっては競合同士の間でさえ、提携や起業を促していく。すると市場機会や資金源、仲間、サプライヤー、顧客、パートナーなどが見つかりやすくなり、良し悪しの評判がすぐに広がり、後進の起業家に手本を示したり、指導したり、足がかりとなる仕事を与えることもできる。』([3]p.51)
 結局、シリコンバレーを以下のように魅力的なものとしている。
 『シリコンバレーのような分散化した産業システムが持つ適応力は、覇を競うさまざまな実験的事業に資源を供給し続けられる力や、失敗から積極的に学ぶ意欲から生み出されるものだ。』([3]p.381)
 『シリコンバレーは、いまも、新しいシステム設計、高度設計、文化横断的なプロジェクト管理、そして第一世代のエンジニアリング調査などをするには、もっとも適した地域だ。』([3]p.385)
 『ベンハモは言う。「インターネットが発達しても、なくならかったものがある。そしてそれこそ、シリコンバレーの真価を示している。少しずれた分野の者どうし、わずかに違う視点を持つ者どうしの偶然の出会いや会話から生まれる機会は、かけがえない。どんな高性能なビデオ会議システムを使っても、対面しているときの熱意や興奮は伝わらない、画期的なアイデアとは、えてして情熱的な人々の間で弾む会話から生まれるものだ。数千マイルも離れていれば、そんな出会いは頻繁には起こらないし、直接顔をあわせるときのような激しいスパークは起こらない。」』([3]p.385)

3.3 連携できる地域とは
 これまでにシリコンバレーと連携に成功したのは、台湾、イスラエル、インド、中国である。まず、頭脳流出と頭脳循環について、次の記述がある。
 『第二次世界大戦後、米国の大学は世界中から優秀な理科系大学院生をひきつけた。1990年代初頭、米国の大学が授与した理科および工学の博士号の40%は、外国生まれの学生に対してのものだった。中でも主流となったのは、東アジアおよび南アジアからの学生で(総計65%)、中国本土(22448人)、台湾(10926人)、インド(9981人)、韓国(9805人)などの出身者だった。1980年代には、一流校である国立台湾大学の卒業生がそっくりやってきたり、栄えあるインド工科大学の工学やコンピュータサイエンスを学んだ学生の大半が留学してきた。』([3]p.65)
 『両国(中国、インド)では最も優秀な若者だちを、米国の大学への入学が認められるレベルに達成するよう教育している。』([3]p.67)
 『図8では、1980年代後半から始まった帰国ラッシュが、1992年から1995年までの間にピークを迎え、年間5000人以上もの人数を記録した様子が見てとれる。帰国者たちは、すかさずかつての級友―その多くは政府機関やハイテク会社で重職に就いていた―と旧交を温める一方で、米国で培った人脈も維持した。』([3]p.171)


図8 台湾へ帰国したハイテク移民数(全世界からと米国から)[5]

 シリコンバレーと連携できる地域について、次の記述がある。
 『こうした環境では、海外の提携先をいち早く見つけ、文化的・言語的障害を乗り越えて複雑な取引関係や協力体制を構築できる能力こそが、貴重な競争力や経営資源になる。米国で働けるだけの語学力や技術力を持った中国人やインド人たちは、民族的職業団体や人脈の手も借りて、新旧の企業との協力関係も結びやすかったし、海外の下請けや顧客にも手が届きやすかった。』([3]p.15)
 『とはいえ、すべての周辺国が台湾やイスラエルのようなハイテク起業の中心地になれるわけではない。その最右翼につけているのは、高等教育、とりわけ技術教育に重点投資している国である。アジア、アフリカ、そして南米のほとんどの開発途上経済は、こうした投資ができずにいる。シンガポールやスコットランドなどは技能に不足はないが、発展努力の軸は外資融資に置いているし、イランやロシアのような国は、海外の同胞を呼び戻せるだけの政治的安定性を欠いている。』([3]p.17)
 『今日のグローバル経済で強い地域になるためには、地元と遠隔地のノウハウや専門知識を組み替えて、ソリューション、製品、業界などの定義を書き変えなければならない』([3]p.40)
 『若者を熱心に教育し、失敗を許し、成功に報い、明日の新しい市場を犠牲にして古くなりつつある昨日の市場を守ろうとする誘惑を克服し、開放的で、多様で、シリコンバレーを生み出したような行動を歓迎する地域だろう。』([3]p.385)

3.4 日本に関して
 著者は、日本に関して次のような助言を行っている。
 『日本にとっての課題は、企業や金融機関、教育機関の垣根を取り払うこと、そして政府が国内と海外との違いを問わず協力関係を支援するということ。シリコンバレー関係者のような洗練された専門家との協調によって、孤立無援で競争しているだけではおおよそなし得ない革新が可能になる。』([3]p.4)
 また、日本の学生の内向き志向についても、次のような根本的理由を述べている。
 『多くの先進国、例えば日本やフランスなどは、ハイテク起業を支援する組織作りでは後手に回った。戦後の大量生産システムを一丸となって支えた国家官僚、銀行、大企業らが、そんな変化に抵抗したためだ。さらにこうした国々では才能ある若者にとって魅力ある機会がすでに十分提供されているので、留学して高等教育を受けようとするものがほとんどいないし、いても卒業後すぐに帰国して、一流企業や役所に就職する。そのため、離れた地域の技術や市場とは疎遠になってしまう。』([3]p.17)